2025年夏、今年も球児たちの熱い戦いが始まろうとしてます。
高校野球は、勝敗以上に熱いドラマが詰まった青春の舞台であり、名試合は時代を超えても心を打ち続けます。
昭和・平成・令和、それぞれの時代で語り継がれる名試合には、スタンドを沸かせた名場面や、今も球界を彩るスター選手の原点が詰まっています。
本記事では、心に残る高校野球の名勝負10試合を厳選し、試合の背景、見どころ、そして活躍した選手のその後まで深掘りします。
⚾ 名勝負とスターの誕生
陽炎ゆれる甲子園――そこには毎年、奇跡が生まれます。
昭和・平成・令和の中で心に残る名場面10選は次の通りです。
大会 | 試合日 | 対戦校 | 見どころ |
---|---|---|---|
第51回 夏大会決勝 | 1969年8月20〜21日 | 松山商(愛媛) vs 三沢(青森) | 延長18回の死闘→翌日再試合。 太田幸司の力投と松山商の粘りが生んだ伝説。 |
第61回 夏大会3回戦 | 1979年8月16日 | 星稜(石川) vs 箕島(和歌山) | 延長18回、2度の土壇場同点本塁打。 最後は落球でサヨナラ。高校野球史上最高の試合。 |
第45回 センバツ準決勝 | 1973年4月10日 | 広島商(広島) vs 作新学院(栃木) | 江川卓の無失点記録が止まる。 広商野球が怪物を打ち破った。 |
第67回 夏大会決勝 | 1985年8月21日 | PL学園(大阪) vs 宇部商(山口) | KKコンビの集大成。 清原の逆転弾と桑田の冷静な投球が光る。 |
第74回 夏大会2回戦 | 1992年8月16日 | 星稜(石川) vs 明徳義塾(高知) | 松井秀喜への5打席連続敬遠。 戦術と倫理が問われた衝撃の試合。 |
第78回 夏大会決勝 | 1996年8月21日 | 松山商(愛媛) vs 熊本工(熊本) | 延長10回、ライト矢野の奇跡のバックホームでサヨナラ阻止。 |
第80回 夏大会準々決勝 | 1998年8月17日 | 横浜(神奈川) vs PL学園(大阪) | 松坂大輔が延長17回250球完投。 平成の怪物が甲子園を制す。 |
第88回 夏大会決勝 | 2006年8月20〜21日 | 駒大苫小牧(北海道) vs 早稲田実業(東京) | 延長15回引き分け→再試合。 田中将大 vs 斎藤佑樹の青春の二日間。 |
第89回 夏大会決勝 | 2007年8月22日 | 佐賀北(佐賀) vs 広陵(広島) | 公立校の奇跡。 満塁逆転ホームランで深紅の優勝旗を手に。 |
第94回 夏大会1回戦 | 2012年8月8日 | 大阪桐蔭(大阪) vs 花巻東(岩手) | 大谷翔平 vs 藤浪晋太郎の160km対決。 未来のスターが共演。 |
ここからは具体的に熱戦を繰り広げた各試合を解説していきます
🟨 昭和の名試合
昭和――それは、日本の高度経済成長とともに数々の名場面が繰り広げられました。
昭和の時代において語り継がれる試合は次の3試合です。
① 松山商 vs 三沢(1969年決勝)|延長18回の死闘と翌日再試合
1969年夏、甲子園の決勝に立ったのは、四国の伝統校・松山商業と、雪国から初の決勝進出を果たした三沢高校の試合です。
誰もが松山商の勝利を予想する中、三沢高校のエース・太田投手は静かにマウンドに立ち、試合は予想を超える展開へ突入しました。
両校の投手が魂を込めて投げ合うもスコアは動かず試合は延長18回へ突入。
三沢高校は幾度となく勝機をつかみかけるが、松山商の鉄壁の守備に阻まれ、ついには大会規定により史上初の決勝再試合が決定する。
翌日、疲労の色を隠せない太田が再び登板し、松山商は初回から攻勢をかけた試合運びで優位に進め、三沢高校も粘りを見せたものの、最後は4-2で松山商が勝利し優勝旗は四国へ渡りました。
試合後、三沢高校の選手たちはベンチで静かに座り込み、田辺監督は「負けたわけではない」と語りかけました。
三沢高校の太田投手は「根性で投げた。悔いはない」と言い残し、甲子園を後にした。
この試合は、勝敗を超えた青春の象徴として、今も語り継がれている。観客の「どっちも負けなかったんだな」という言葉が、そのすべてを物語っていた。
② 星稜 vs 箕島(1979年3回戦)|奇跡の同点劇とサヨナラ
甲子園の空が、夕暮れに染まり始めた頃。
第61回全国高校野球選手権大会3回戦、箕島高校と星稜高校の一戦が始まりました。
春の選抜を制し、史上初の公立校による春夏連覇を目指す箕島高校と対する、北陸の雄・星稜。
誰もが箕島の優位を予想していたが、試合は想像を超える展開へと突き進んでいきました。
序盤は互いに譲らず、4回に星稜が先制すると、すぐさま箕島が追いつく展開で1対1のまま、試合は延長戦へ突入しました。
両校のエース、石井と堅田が魂を込めて投げ続ける中、延長12回表に星稜が1点を勝ち越す。
甲子園がざわめき始めて箕島の敗北がよぎり始めたその瞬間——星稜の嶋田宗彦が放った打球は、左翼ラッキーゾーンへ吸い込まれていきました。
「ホームラン、狙ってきます!」と監督に宣言した通りの一撃。
まさに甲子園が揺れた瞬間でした。
そして16回表、星稜が再び1点を奪う。
箕島は2死無走者、誰もが終わったと思った瞬間でした。
しかし、森川康弘の打球はファウルゾーンへ高く舞い上がる。
星稜の一塁手・加藤が追うが、芝の縁に足を取られ転倒。
命拾いした森川は、次の球を左中間スタンドへ放り込みました。
「奇跡としか言いようがありません」という実況の言葉が、甲子園に響いた瞬間でした。
そして18回裏、2死一・二塁。
打席には上野敬三。
打球はライト前へ転がり、二塁走者・辻内がヘッドスライディングで生還。
3時間50分の死闘は、箕島のサヨナラ勝ちで幕を閉じた。
この試合は、ただの延長戦ではありませんでした。
2度の土壇場での同点ホームラン。
隠し球、スクイズ失敗、芝の罠、すべてがドラマでした。
そして何より、両校の選手たちが見せた執念と誇りが、甲子園という舞台を「奇跡の劇場」へと変えた物語でした。
③ 広島商 vs 作新学院(1973年準決勝)|江川卓の神話崩壊
春のセンバツ準決勝で甲子園に現れたのは、作新学院の“怪物”江川卓投手です。
1回戦で19奪三振、準々決勝では20奪三振。
無失点記録は139回に達し、誰もが「江川の優勝」を確信していました。
だが、広島商には策士・迫田監督がいました。
試合前、選手たちにこう告げる。
「打つのは外角いっぱいのボール1球分だけ。内角は絶対に振るな。5回までに100球投げさせろ」
その言葉通り、広商は江川に108球を投げさせ、じわじわと追い詰めていく。
5回、昨新学園が先制するも、広商はすぐにポテンヒットで同点に追いつき、無失点記録はついに途切れました。
そして8回、広商はダブルスチールを敢行し、捕手の悪送球で逆転しました。
江川は8四球と制球に苦しみ、広商の“機動力野球”に屈した瞬間でした。
試合後、江川投手はこう語ったそうです。
「こういう緻密な野球があるのを初めて知った。勉強になりました」
甲子園に吹いた風は、怪物の神話を静かに終わらせた冷たい風でした。
🟨 平成の名試合
バブル経済の崩壊により、失業や不安が社会を覆い始めた平成時代。
そんな暗い時代でも人々が目を向けたのが、ひたむきに白球を追う高校球児たちの姿でした。
この時代に活躍した選手たちは、その後の人生においても一流で今だレジェンドたちが多いです。
④ PL学園 vs 宇部商(1985年決勝)|KKコンビの逆転劇
PL学園の最後の夏。桑田真澄と清原和博、KKコンビが挑む決勝戦の相手は、公立の雄・宇部商です。
宇部商は右腕・古谷を先発に抜擢。PL打線を翻弄し、6回に藤井のタイムリーで逆転。
だが、清原がインコースを完璧に捉え、2打席連続ホームランを放ちました。
甲子園に響いた実況の声——
「甲子園は清原のためにあるのか!」
試合は3-3のまま最終回へ突入しました。
9回裏、2死から安本が四球で出塁し、盗塁で一打サヨナラの場面。
打席には主将・松山。
ネクストバッターズサークルの清原が声をかける。
「マツ、決めてくれ」
松山が外角速球をライトへ弾き返し、打球がフェンスに到達する頃には、PLの選手たちが歓喜の輪を作っていた。
KKコンビは抱き合い、涙の逆転優勝を果たしました。
⑤ 星稜 vs 明徳義塾(1992年2回戦)|松井秀喜への5打席敬遠
甲子園がざわついた第74回大会2回戦、石川の星稜と高知の明徳義塾が対峙したこの試合は、野球の本質を問う一戦となった。
星稜の4番には、怪物・松井秀喜。
高校通算60本塁打目前、全国がその一打を首を長くして待っていました。
しかし、明徳の監督・馬淵史郎は、松井の打撃練習を見て「腹をくくった」と語るほど、試合前から勝負はしないと決めていました。
試合が始まると、松井の打席に球場が注目しました。
1回の第一打席、二死三塁、投手・河野は外角へ大きく外して四球となり、スタンドが騒めきはじめました。
2回目の打席も、3回目も、そして4回目も。
観客の怒号が飛び交い、メガホンや空き缶がグラウンドに投げ込まれる異常事態となりました。
7回、二死無走者でも敬遠、さすがに球場全体が騒然となりました。
そして9回、二死三塁の場面で最後の打席も敬遠でした。
松井は盗塁で二塁へ進みましたが、次の打者が三ゴロで試合終了となりました。
誰もが松井の活躍を期待した星稜は2-3で敗れた瞬間でした。
試合後、星稜の選手たちは握手を拒否し、明徳の校歌は異例の「帰れ!」コールにかき消されました。
しかし、松井は一言も発せず、静かにベンチへ戻った。
この試合は「勝利至上主義」の象徴として、今もなお語り継がれています。
勝つために何を犠牲にするのか、甲子園が問いかけた、野球の哲学でした。
⑥ 松山商 vs 熊本工(1996年決勝)|奇跡のバックホーム
第78回大会決勝、熊本工は初優勝を目前にしていました。
延長10回裏、一死満塁。
犠牲フライが上がり、三塁走者・星子がスタートを切り、誰もが「決まった」と思った瞬間でした。
だが、右翼・矢野勝嗣が放った返球は、一直線にホームへ届き、捕手・石丸がタッチ。
球審の叫び——「アウト!」
甲子園が凍りついた。実況は絶叫した。「これは……アウトです!」
この一球が流れを変えた。11回表、矢野の二塁打を起点に松山商が3点を奪い、優勝を決めた。
試合後、熊本工の星子は「わが生涯に一片の悔いなし」と語った。だが、悔いはあった。その後、彼は熊本でバー「たっちあっぷ」を開き、矢野と再会。甲子園の絆は、人生をも変えた。
この試合は、“守備で勝った”甲子園の象徴。奇跡のバックホームは、今も語り継がれる伝説だ。
⑦ 横浜 vs PL学園(1998年準々決勝)|松坂250球の鉄腕
平成10年8月20日、準々決勝第1試合で春の選抜を制した横浜高校が、PL学園との再戦に臨みました。
春は3-2で横浜が勝利。
PLは雪辱を誓い、横浜は春夏連覇を目指します。
試合は序盤から激しい打ち合いとなり、PLが2回に3点を先制すれば、横浜は4回に2ラン、5回に連打で追いつくガチンコの試合展開となりました。
互いに譲らず、スコアは次々と得点を重ねる中、誰もが注目していたのは横浜のエース・松坂大輔でした。
彼はこの試合、延長17回・250球を一人で投げ抜いています。
炎天下の中、疲労を超えた精神力でPLの強力打線を封じ続け、それに応えるように野手も奮闘します。
11回に勝ち越されてもすぐに追いつき、16回に再びリードされてもすぐ同点に。
そして17回、常盤の2ランで横浜がついに突き放しました。
最後の打者を三振に仕留めた瞬間、松坂はガッツポーズもなく、肩を落とし「やっと終わった」という表情を浮かべました。
勝者の捕手・小山は号泣し、敗者の投手・上重は笑顔を見せました。
その試合実況を担当した、NHKの石川洋アナウンサーはこう語りました。
「勝って泣く顔があります。負けて笑う顔があります。」
この試合は、勝敗を超えた“魂の野球”でした。
そして、松坂の250球は、甲子園の延長規定を変えるきっかけとなりました。
⑧ 駒大苫小牧 vs 早稲田実業(2006年決勝)|青春の二日間
第88回大会決勝、北の王者・駒大苫小牧は、史上2校目の夏3連覇を目指します。
それに対するは、東京の名門・早稲田実業です。
田中将大 vs 斎藤佑樹の二人の投手が話題となった試合です。
8月20日、決勝戦は両投手が魂を込めて投げ合い、互いに満塁のピンチをしのぎ続けました。
延長11回、早実はランナー三塁のピンチを迎えます。
駒苫はスクイズに打って出るも斎藤投手がワンバウンドで見事に外し、捕手・白川が体を張って後逸を止めました。
「涙が出るほど練習した」という言葉が、この一球に宿っていた。
延長15回の末、お互い譲らす1-1の引き分けとなり、翌日の再試合となりました。
早実は初回から斎藤投手が前日の疲れも見せず快投します。
駒苫は田中投手を温存する作戦を取りました。
しかし、駒苫先発の菊池投手が1回から早実の猛攻にあい、急遽、田中投手がリリーフ登板して最後まで投げ抜きました。
再試合は4-3で早実が勝利し、駒苫の最後の打者は田中投手でした。
斎藤投手が外角速球で空振り三振を奪い、甲子園が歓声に包まれた。
試合後、斎藤投手は「田中に勝ったと実感した」と語りました。
田中投手は「やりきった気持ち。でも悔しい」と涙を流しました。
この二日間は、勝敗以上に“青春の尊さ”を教えてくれた試合です。
そして、スタンドでこの試合を見ていた少年・清宮幸太郎は、後にこう語ったそうです。
「感動しました。僕も甲子園に行きたい」
この試合は、未来の球児たちに夢を与えた“青春の教科書”でした。
⑨ 佐賀北 vs 広陵(2007年決勝)|満塁逆転ホームラン
第89回全国高校野球選手権大会決勝、甲子園の空に、奇跡が舞った試合です。
広陵高校は、プロ注目のエース・野村祐輔投手を擁し、準決勝まで圧倒的な強さで勝ち上がってきました。
対するは、佐賀県の公立校・佐賀北高校は、無印の存在ながら、粘り強い守備とチーム力で勝ち進み、“がばい旋風”と呼ばれる快進撃を見せました。
試合は広陵が2回表に2点を先制し、6回にも追加点を挙げ、広陵ペースで進みます。
広陵、野村投手のスライダーは切れ味鋭く、佐賀北打線は沈黙します。
誰もが「広陵の優勝」を確信していました。
しかし、甲子園の“魔物”が目を覚まし、運命の8回裏に奇跡が始まります。
佐賀北は1死からの連打と四球で満塁のチャンスを迎えます。
打席には副主将・副島浩史を迎え、カウント2-2からの5球目、制球が甘くなった野村投手のスライダーを振り抜いた打球は、ライトスタンドへ一直線に飛び込みました。
「逆転満塁ホームラン!」
甲子園が一瞬静まり返り、そしてどよめきました。
9回表、佐賀北は広陵の反撃を封じ、そのまま試合終了し、佐賀北高校が初優勝しました。
この一戦は、甲子園史上初の「決勝での逆転満塁ホームラン」として語り継がれることとなりました。
そして、野村祐輔が後に語った「球審との会話」や、スタンド全体が佐賀北の応援に包まれた“異様な空気”は、まさに甲子園の“魔物”が目覚めた瞬間でした。
🟨 令和の名試合(平成末期含む)
令和という新時代は、コロナ禍という予期せぬ困難とともに幕を開けました。
誰もが当たり前だと思っていたことが崩れ去り、「甲子園に出場する」という夢さえも遠ざかる瞬間がありましたが、球児たちは諦めなかった。
目に見えないウイルスと戦いながら、それでも前に進んだ球児たちの姿は、この時代を生きるすべての人々に「諦めない心」の尊さを問いかけます。
⑩ 大阪桐蔭 vs 花巻東(2012年1回戦)|160km対決の衝撃
2012年8月8日、甲子園で注目の一戦が幕を開けました。
大阪桐蔭の剛腕・藤浪晋太郎と花巻東の怪物・大谷翔平という、“超高校級”同士の初対決です。
序盤は、大谷が2回に鮮烈なホームランを放ち、4回にも追加点を奪って2-0となり、花巻東ペースで試合が進みます。
しかし、桐蔭は6回に反撃開始し、笠松のタイムリーで逆転、田端の2ランで突き放します。
藤浪投手もギアを上げ、圧巻の投球を続けました。
桐蔭は最終回にも花巻東のミスにつけ込み、ダメ押しの4点を追加して最終スコアは9-2。
藤浪投手は圧巻の12奪三振の完投勝利しました。
この試合は勝敗以上に、甲子園は“未来のメジャーリーガー”2人の原点となった瞬間で、二人の才能が交錯した歴史的一戦でした。
まとめ:心に残る理由と2025年・今年の高校野球注目点
高校野球の名試合が人々の記憶に焼きつくのは、単なるスポーツの域を越え、人生の縮図のような物語がそこにあるからです。
勝敗だけでは語れない試合には、友情、努力、涙、誇り、挫折、希望――そして再生があります。
球児たちは、まさに「生きること」の本質を全力疾走で教えてくれます。
彼らの一挙手一投足が、観る者自身の記憶や感情を呼び起こし、自分の青春と重ねる瞬間もあるでしょう。
たとえば、敗れながらも最後まで諦めなかった姿。
無名校が強豪に挑む勇気。
被災地から立ち上がったチームの絆。
これらは単なるニュースではなく、私たち自身の希望の象徴となるのです。
そして何より、高校野球が教えてくれるのは、「結果ではなく過程が人を育てる」ということです。
スタンドの歓声も、監督の叱咤も、泥だらけのユニフォームも、全てが物語の一部であり、心に残る理由となっていくのです。
歓声が止んだ後も、その余韻は胸の奥に響き続けます。
はたして2025年の試合からはどんな名勝負は生まれるのでしょうか?
今年の注目校や注目選手はこちらで解説していますのでよかったらご覧ください。

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